2006年12月18日
渡船事故と歌内橋
中川町の歌内地区と国府地区を結ぶ旧歌内橋が解体中です。
昭和15年5月6日、天塩川の渡船で大きな事故が起きた。
登校する子どもたちを乗せた渡船が、融雪で増水する天塩川の濁流に飲み込まれ、乗船していた児童17人と父兄2人全員が犠牲者となったのだ。
それまでにも橋を架けて欲しいとの話は出ていたが、二度とこのような痛ましい事故が起きないようにと、住民と村は国や道に強く要望。昭和35年に悲願の歌内橋が完成することとなった。
現在解体されているのは、昭和47年に木橋部分を鋼製に改築された2代目の歌内橋。
この橋も老朽化が進んだため架け替え工事が行われていたが、今年9月に3代目の歌内橋が完成し、美しいトラス組みの旧歌内橋も解体されることとなった。
写真は、解体工事が進む旧歌内橋。
新橋になり大型の農業機械も安全に通行できるようになり、地域の方々も喜んでいるが、橋のたもとにひっそりと立つ遭難碑と祠(ほこら)を忘れてはいない。
中川町では、天塩川の解氷日時を当てて、マチの農産物や特産品をもらっちゃうクイズ「天塩川 春・発信 in なかがわ」を行っています。
詳しい情報は、イベントのホームページ http://www.teshiogawa.jp/ をごらん下さい。
昭和15年5月6日、天塩川の渡船で大きな事故が起きた。
登校する子どもたちを乗せた渡船が、融雪で増水する天塩川の濁流に飲み込まれ、乗船していた児童17人と父兄2人全員が犠牲者となったのだ。
それまでにも橋を架けて欲しいとの話は出ていたが、二度とこのような痛ましい事故が起きないようにと、住民と村は国や道に強く要望。昭和35年に悲願の歌内橋が完成することとなった。
現在解体されているのは、昭和47年に木橋部分を鋼製に改築された2代目の歌内橋。
この橋も老朽化が進んだため架け替え工事が行われていたが、今年9月に3代目の歌内橋が完成し、美しいトラス組みの旧歌内橋も解体されることとなった。
写真は、解体工事が進む旧歌内橋。
新橋になり大型の農業機械も安全に通行できるようになり、地域の方々も喜んでいるが、橋のたもとにひっそりと立つ遭難碑と祠(ほこら)を忘れてはいない。
中川町では、天塩川の解氷日時を当てて、マチの農産物や特産品をもらっちゃうクイズ「天塩川 春・発信 in なかがわ」を行っています。
詳しい情報は、イベントのホームページ http://www.teshiogawa.jp/ をごらん下さい。
Posted by サッコタン at 18:02│Comments(0)
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